2006年11月5日(歩/40分)
いよいよ、本格的中山道に突入である。言葉のとおり天井川のトンネルに入る(右は東海道)。
ここからは、草津の商店街である。街道もまっすぐに続き間違うこともない。
この辺りは、JRびわこ線の複々線化やJR草津線の高架複線化などで、
元々複線のJRを踏切で右から左へ斜めに横切っていたのがJR構内になってしまった。
少し行くと、また、道路が右折れして住宅街へ入ってしまう。
ここも、[歩行者以外通れません]の看板の向こうへJR沿いに進む。
右の写真のようにJRの下がくぐれるようになっている。
左の写真がそのトンネルを出たところを振り返って写したものである。2006年9月23日(歩/4時間)
焔魔堂から少し東に進むと、滋賀県下で唯一残る一里塚が右側にある。
通常左右にあるのだが市街地では完全に残っている例は少ない。
守山駅前通(右・左写真)をクロスして、比叡"山"の東の"守"り(これが守山の由来)である「東門院」の前を過ぎると、
少し先に石造りの道しるべがある。Y字路になっているが、右に進路をとる(右・右写真)。
琵琶湖大橋取付道路を横切りしばらく進むと、野洲川を渡る橋にたどり着く。
右前方に三上山(近江富士)を望みつつ渡りきると(左・右写真)、
信号で道は大きく右へ折れているが、旧中山道は直進である。(下・左写真)
次にまた、Y字路にさしかかる。まっすぐに続くのが中山道、左へとると、後に彦根道として出てくる別の街道である。
先に信号が見えてくる。複雑な交差点であるが、来た道に対して直線の道が中山道である(下・左写真の信号奥へ続く道)。
この先も現在の交通事情から見ると、野洲の町を斜めに突っ切っていく様な感じで続いていく。
東海道新幹線のガードも斜めにくぐり、しばらく行くと国道8号線にぶつかりそうになって左カーブし平行する。
ここから少しの間、新幹線と8号線の間を進む。
この先で国道に出るが、手前に旧道のみトンネルになっており、そこだけ残っているが、
草津と同様天井川であった名残である。(2006年11月現在トンネル部分も取り除かれ平坦になっている)
川を越え、しばらくすると、歩道(側道)がそのまま国道から離れ集落に入る。
源義経元服の地「鏡かがみ」である(左・左写真)。
西横関の家並みに差しかかったところで分岐しているが、
右へ進むと国道へ出てしまうので集落の中へ(右・左写真)入っていく。
日野川の堤防へ出るが、竹藪で川は見えず、西横関と東横関を結ぶ渡しは今はない。2007年7月22日(4564歩/47分)
安藤(歌川)広重の武佐宿に描かれた渡しの跡地には案内板が掲げられていて詳しい説明がされている(左・左写真)。
集落を出たところから地名は東横関となる(右・左写真)。
信号を越え8号線と平行にしばらく行くと、もう一つ信号がありまた集落に入る。
国道に出てすぐ、左側に馬淵(まぶち)高札所跡がある。(左・左写真)
すぐに突き当たりとなるので左折して国道の方へ向かう。(右・左写真)
しばらく行くと国道8号線が近江鉄道の高架へ上っていく手前に、信号のある丁字路がある(左・左写真)。ここを、右折する。
西宿町と称する辺りを通り、近江鉄道の踏切(右・左写真)をわたったところが武佐駅である。