2010年9月19日(43272歩/7時間25分)
何かの文献で読んだ覚えが・・・。この道(左・左写真=8:10)が東海道となる前は草津川(砂川)の堤防ももっとなだらかで、
当然中山道のトンネルもなく普通に
堤防を上がり砂地の川を歩いて渡り、北側の堤防を下りれば中山道、右手に取れば東海道だと。
現在は一部でこの天井川も取り除かれ平坦な道路へと変貌している。ただ堤防の遊歩道は橋が架けられ琵琶湖まで続いているのだが・・・。
まさか本当に歩いて川も渡れず一番近い橋を渡る(右・左写真=8:16)。
堤防を徐々に下り、下の道に合流する(左・左写真=8:32)。この辺りの旧道は堤防上も含め、生活道路兼迂回路となっており、とても車が多いので注意を要する。
この辺りは「田楽発祥の地」と言うことで田楽屋の跡地が多い。近辺に35年も住んでいながら知らなかった()右・左写真=8:49。
大きく右カーブをして、しばらくすると丁字形の三叉路へ来る(左・左写真=9:00)。ここを直角に左折する。
このまま直進すると何となく旧街道のような雰囲気のまま堤防沿いに、JRA栗東トレーニングセンタ−へ行ってしまう。
まもなく川辺(かわづら)集落の外れ、「葉山川」(この川もほとんど天井川化している)を渡る(右・左写真=9:09)。
右側、ため池堤防にたくさんの石碑が建っており、「九代将軍 足利義尚公 鈎の陣所ゆかりの地」とある(左・左写真=9:16)。
JR草津線 手原駅前通りを渡ると右角に神社があり、「明治天皇手原御小休所」の碑がある(右・左写真=9:30)。
一里塚からすぐの所に「ぜさい」すなわち道中薬、腹薬の「和中散」を売る店として大阪、江戸まで知られた大角家(左・左写真=9:58)。
現在、「ぜさいや」の看板をレプリカとして製作中と聞く。
「伊勢落(いせおち)」という集落を過ぎる頃、名神高速の高架がある(右・左写真=10:25)。
このトンネルを直進すると「下道」、右手に取ると野洲川の氾濫を避けて山手を迂回する「上道」である。(今回は下道へ直進する)
新しい一号線バイパスの高架工事を左に見ながらしばらく行くと、「一級河川 宮川」の看板の横に「五軒茶屋橋」がある(左・左写真=10:50)。
これがもう一方の「上道分岐点」である。
[石部西]という信号を過ぎて程なく、紛らわしい三叉路に来る。ここは元々突き当たりの枡形であったが、
住宅地が整備されたとき道路を作ったようだ(右・左写真=11:07)。
枡形からすぐの所に「石部宿小島本陣跡」の石碑と案内板が立っている(左・左写真=11:15/18467歩)。
[石部東]の信号を過ぎ小橋を渡ると石部を出て、旧甲西町の柑子袋(こうじぶくろ)に入る。右・左写真の分岐点は右方直進である。
針と夏見を隔てる天井川(左・左写真=12:06)。夏見と吉永を隔てる天井川「大沙川」(左・右写真=12:28)。
踏切を渡り、JRを斜めに横切った旧東海道はいよいよ三雲に入る(右・左写真=12:36)。
JR草津線 三雲駅前交差点(左・左写真=12:51)。
ここから先は直進して7、800m先の渡しを渡るのが本来の旧東海道であるが、現在ではそのすべなく、左折して国道一号線の「横田橋」を渡る。
橋を渡りきった交差点[朝国]の向こうに歩道橋がある(右・左写真=12:59)。これを渡って国道一号線の野洲川沿いに出る。
県道535号線に入った所(左・左写真=13:51)。まっすぐ延びる道は実は県道535号線ではない。少し先で右に入るのがそうである。
いずれにしてもここは東海道ではなく、本来の渡しの対岸へ向かっているのである。
さて渡しの江戸側に上がると大きな常夜灯が出迎える(右・左写真=13:58)。広い公園として整備されておりトイレ、休憩所もある。
ちょっとした林を抜けた所に「泉一里塚跡」がある。もともともう少し野洲川寄りにあったものを移設したとある(左・左写真=14:04)。
その先の泉川を渡り右折する。(国道一号線から入った真ん中の道)
この林口に西見付があり、「林口一里塚」もあったのだが水口城が整備された折、東海道が少し北側に付け替えられた。
結果この「五十鈴神社」境内に一里塚が移動した(右・左写真=15:13)。ここを右折する
次は、道なりに右折する(左・左写真=15:23)。
最後の丁字路突き当たりには「信用金庫」がある(右・左写真=15:30)。ここを左折して、最終的に林口からの一本道に戻る。
無人駅なので、電車に乗るとき整理券を取る。30分に一本ぐらいはあるようだ。ここからJR草津線「貴生川駅」にはすぐである(下写真=15:35)。